隅でド派手

運命が許すあいだ、嬉々として進め。

9 大学受験の話

 東京の大学に行くことが全てだったのかと言われるとそうだと思う。前日のあれがだめだったのかと言われるとそうだと思う。でも結局全て自分自分の弱さとか落ち着きのなさとか運とか、わたし自身があの時点でそういう器ではなかったということだと思う。
何も後悔していないけれど受験生の時はそれしか見ていなかったから、全てだった。実家から、地元から距離を置かないとどうにかなると思っていた。何もかも気持ち悪くてこんなにわたしは気持ち悪いと思っているのに平気で私の周りに集まる人たちのことが怖かった。遊んでいても私は何も楽しくないのに楽しそうにする人たちの意味がわからなかった。
あまりの執着だったので、担任に、怒られて渋々家を出たかったことを伝えると何故もっと早く言わなかったのかと言われた。貴方が考えている以上に私は考えていたんですよと思った。私は誰よりもクラスのことを考えてきたんですよと思った。どれだけ自分がどうしようもなくてもどうしようもないからって何もしなければ何も変わらないから、できること全部やって、自分さえ良ければなんて人間になんて死んでもなりたくなかったから拾える人全部拾って、そうしたら自分も行きたい場所に行けると思っていた。でも全然違った。人間ってなりたい人間にはきっとなれない。
自分のやってきたことが全てで、それらを積み重ねた結果、人間が決まるんだと思う。
ゴールは死だ。死んだ時にやり切ったかどうかだ。
就活していて、出版に落ちて落ちて落ちまくってモチベもなくなって、そうしたら母親は私のことを「夢敗れたんです」と他人に紹介するようになった。
何も分かってないんだなあこの人は、と思った。私は何も夢敗れていないしそんなことにいちいち固執するなら浪人していたし国公立を目指していたと思うし海外だって行っていた。でもそんなのくだらなかった。私が大学に行きたかった理由分かりますか?実家を出たかったからだよ。地元からできるだけ遠くに行きたかったんだよ。努力したら全部捨てれると思ってた。そうしたら、自分は幸せになれるんだと思っていた。
でも、京都に行って、ドイツに行って、帰ってきて、気付いた。周りに誰がいようと相手にしなければいい。そんなものに構っている暇なんてないのである。私の味方は初めっから本と自然と音楽だけだった。文化だけだった。そしてそれらに救われてきたほかの人たちと繋がっているだけだった。それらがなかったら私は人間と関わっていても楽しくもなければ時間の無駄だと思う。そのくらい見ている世界が違った。
人間誰しも長所はある、あるにはあるがそれに気付かず気付いていても向上心がない。だけれど向上心というものは、人より上に立つものでは無い。自分が落ちないようにしなければならない。上にいくことばかり考えていたらいつの間にか落ちている。
わたし思うの、どんなに身なりを綺麗にしていても、目の前の困っている人に気付かないで、自分と自分の周りしか見ていない人って美しい?
どんな景色なんだろうと思う。私も同じ立場に立ったら変わってしまうのかなと思う。高学歴で、誰しも知っている大手企業に入って、役職について、どんな景色なんだろう。わたしは上に立つ人の上に立つまでの生き方を調べるのが大好きだ。そういった人たちの中で生きていきたい。それは今の場所だってできる。だって大企業だって初めはゼロスタートなんだよ。だったら私は自分を拾ってくれた場所に全力で恩返しする。できることはぜんぶやる。何年かかっても、やりきったって思うまでは転職しないし、逆にもう出来ることないって思ったら離れるだろう。
これゴールじゃないんだよ、スタートなんだよ。
おかあさん、わたしの夢は自分が幸せになることだよ。そのために、心の平静が必要なんだよ。
積み重ねだね。きっとずっと。頑張ってくるわ、ありがとう。

8 自分にとって必要なものは少ないほうがいいけど味方はいっぱいいたほうがいい

 表題、以上!解散。

 昨日は早退した。今日は元気だ。狭いところにいたので息苦しかったんだと思う。自分は大抵の場合どこででも生きていけると思っているけれど、あまりにも無秩序過ぎるとどうだろう。振り返ってみるとなんだかんだで筋の通った居場所でやってきた気がする。わたしにとって必要なもの、それは組織が人を人としてみて、人として扱うことだと思う。

 自分に先見の明があるんじゃないかと思うときがある。でもそれは既に見出した人物から離れた時だ。それではもう無関係になっているのかもしれない。でも、凄い人が凄い時に必要とされることってそんなに多いのかな。わたしにとってLiSAが必要だったのは小学生で中学生で、Free!が必要だったのも中学生のときだけで、アニメや漫画やゲームには大学生が終わる1ヶ月前までお世話になっていた。

 けどもうわたしにとって絶対不可欠ではないんだろうなと思う。残すは恐らくギルバートだけだけど、いまは毎日考えてしまうけれど、これもいつかあの人が凄い人(今でも十分凄いが)になった時に薄くなるのかもしれない。

なくなりはしない。今でも思い出す、好きな漫画の好きなセリフ好きなシーン。

 今のわたしに必要なのは自然と、運動と、読書と、音楽と、わたしの話を聞いてくれる人。あとは広い空間。このことに気づいたのももう無理だって鴨川のベンチで寝転んだ時にあまりにも気持ちよくて、なんだここでいいんだってなったから。そのまま死んでたってたぶん誰よりも幸せに近付いていたと思う。舞台を観た時の喜びとか、ライブの高揚感とか、ぜんぶぜんぶ麻薬で幻想だった。やっていることはわたしの好きじゃない人たちと同じだった。でもその中で素敵な人も沢山いた。で、だけどそれだってわたしの心は平静ではいられないんだろうなって思った。離れたほうが楽だった。なくて生きていけるならわたしは必要なものなんて少なくていい、でももしかしたらふとした瞬間思い出して頼らせてしまうかもしれない、その時はよろしくねって感じ。

受け入れてくれるかはわからないけれども、少なくともわたしの好きな俳優やアイドルやキャラクターたちは自分のために時間を使う人で、その上で周りをみている人だと思うから、いよいよわたしも同じ土俵になれたらなって思う。

 今のわたしにあるもの、思ったより沢山あるんだ!しいたけ占いがいってた 思ってるより凄いことしてきてるよーっって。わたしって頑張ってたんだね、ちゃんと目に見えることもあるんだね、一生駄目って言われ続けながら1人で頑張るんだと思っていた。見てくれる人は本当に見てくれているんだ、そうなんだ、で、どうするかって、今まで通り、違和感ないなら正しいって思うこと貫いて、普段は間違った時に違和感持てるように情報とか思考とか研ぎ澄ませておいて、おかしいなって思ったら立ち止まるだけ。義務じゃないけど未来のわたしが不幸にならないために必要なこと。

 さあ今日も生きるぞ!

7 黒い塊になっていく言葉たち

 お前みたいな思想はともすればテロリストを産むと言われた事がある。否定しきれなかった。そいつよりもわたしは甘いところがあった。今まで言われてきて深く覚えている言葉たちって半分はコンプレックスだ。自らの手を汚すときは自覚していたい。今日読んだ本に野菜を育てるためには芋虫を殺さなければならず、その命を奪う作業は自らの手で行わなければならない、薬や他人の手を借りて、さも自分とは無縁のようにやり過ごしてはいけないという文があった。

わたしはきっと殺せない。野菜はもう食べないと意地を張り、周りを心配させ、気を遣わせ、結局自分の手を汚さずに分けてもらう気がする。今年は嫌いなものに向き合いたい。なんなら好きなものなんてそんなにない。人間だってただ興味深いだけなのだ。いらないと思ったらもう多分戻れない。捨てるのを引き伸ばしにする癖がある。良い格好をしようとする癖がある。すぐに捨てたら後悔するかな。そんなことをないしいい格好をしたいだけなのだろうな。

 

今日、意図して他人の悪口をあなたに共有しました。わたしはそんなこと下品で稚拙で卑劣な行為だと思っていた。言霊として跳ね返ってきたりするのだろうか。苦手なあの人もその人も同族嫌悪で実際には同じように見られているのであろうか。

 良いこともあった。同期の優しさに触れた。みんな優しい。前からわかってはいたが誰しもが痛みを持っているのだろうなと思う。だけど、人間がたたかわなければいけないのはこれからだ。嗚呼痛い 売った漫画の好きな言葉を思い出す。しんどい。あれはローゼンメイデンの真紅の台詞。生きるって闘うってことでしょう。あなたは今何と闘っていますか、否愚問、人は自分自身と向き合い闘うのですよね、岡本太郎

 さて、今わたしの中にある汚さ。何者か、ひとかどの人間になりたい。評価されたい。好きな人が欲しい。尊敬できる人で周りを固めたい。全て汚いと思います。願望は叶いません、大抵は。

 今のわたしができること。あなたにきょうのできごとを話すこと。書いて記録すること。朝の挨拶。自然を浴びること。バスに乗るときは、できるだけお年寄りのかたが入ってすぐ座れるように後ろの方の席から座ること。絵を描いてみること。本を読むこと。お手紙を書くこと。調べもの。人を観察すること。考えること。工夫すること。面白がること。かたいときはゆるく、ゆるいときはかたくあること。

 少ないんだか多いんだかは分かりませんが、今の君はどんな君で、どんなものを抱えていますか。

6 あなたがどこかで生きていてくれるというだけで嬉しくなるわ

 考えてもみてください!仮にわたくしが何の変哲もない、(変哲という言葉もなかなかこう見ると面白いですね、わたくしは大学で哲学を学んでいましたので)人間であったとします。長い歴史の中で、この、平成と令和に生きるただの1人の人間の、考えていたことの記録は意味のないものでしょうか?否!わたくしは平凡代表、平凡というほどではないが平凡から脱したいものまねをしていたパンピーの記録として、重要な素材になるのやもしれない!
そういうふうに考えると、わたくしの、教科書に名を連ねてみたいということは、ワンチャンあるのではないかとは思いませぬか!
ぶっちゃけわたし、人と違うところがあるとはいえそんなもんはみんな一緒だし普通だと思うんだよね。みんなだって面白いもん好きでしょ。でもそれってその人それぞれで面白いって思うことが変わって、ようはどういうことであなたたちは心動かされるんですか?それ知りたいんですけどって話。
わたしはふつうに面白くないことが嫌いで、ふつうに可愛いお花が好きで、公園の小鳥に思いを馳せて短い命のために心の中でペンライトを振るんだ。これが私の普通。急になんか私が出てきて混乱するよねごめん。要はあなただっていろんなあなたが内にいるんだから見せてくれたっていいじゃない!人間が心動く瞬間がすき!
ここまでが今朝の話。昨日の下書きもまとめてここに書くね!気にしないで!メモよメモよ!(小説とは)

テキトーに歩いていたら1つ前の電車に乗れた。うれしい。
私はあなたがたの友になりたい。
では貴様は貴様のようなブログを読み面白いと思い金を払うのかと言われたらそうでもなくわたくしはわたくしが一番楽しいことをとりあえずやりたいと思っていてそれが今のように考えるということでそしていつもそれをあなた方に電話で伝えているので、この機会にそのまま話し言葉と書き言葉を織り交ぜながら(いかんせん私の脳内ではごちゃ混ぜになっているので)書いてみようかなと思っている所存です。ですからわたくしは私の言葉たちを面白いと思っている訳では無いのです。ご了承ください。
しんどいしんどい己の汚さ
人のいい所しか言わないのもまた罪悪ではないのか
しかし邪魔をしたい訳では無いのだ しんどい

そんでここからは一昨日の下書き!付き合ってよね!

まって!まだ話したい!エリザベス女王のことについてです。凄くない?!ちらと見ただけなんですけど…
そういえばコロナ禍で募金活動をしてた100歳以上の人もいたことを思い出した

靴下を履き忘れることって結構無い?

書いていてわかることがある!それはだいぶとわたくしがあなたに似てきたということ。とめどなく溢れる言葉の端々にわたくしはあなたを感じます。

わたくしが最近気に入っている音楽家タニタツヤ氏の曲に あなたまるで人間みたいねという歌詞がある。無論人間である!しかしながら同時にケダモノみたいだなと人に対して思うことはあるのである。

ワタクシという人間を形成するにあたって、話し言葉と言葉を紡ぐということは切っても切り離せずにいる。そしてやはり目指した云々がラジオパーソナリティであったり、アナウンサーであったりした。(安住紳一郎のラジオが面白くてふと思い返した)

本日拝読致しましたのはアーシュラKルーグウィンによります 『いまファンタジーにできること』 でございます。
しかしながら我思う!わたくしが書きたいのはファンタジーではなくあなたがたなのです!まさしくファンタジーに影響を受け胸を高鳴らせ、けれども現実という半天国半地獄に惑わされるあなた方!
供養に付き合ってくれてどうもありがとう。良い一日を御機嫌よう!

5

 昨夜は眠れずあろうことかふたつのTwitterアカウントで暴れに暴れ、あなた方を困惑させそれでも眠れずCreepy Nutsの歌に励まされながら2時前に寝た。新社会人として一生の不覚と思ってはいたが身体はありがたいことに自動的に5時50分に目覚めてくれた。頼んでいない!起きてからも暫し引き摺り今日は準急で座って寝てやろうかなどと考えていたがご飯を食べ顔を洗うと気持ちが良くなりどうでも良くなった。もういつもの日である。
この形式であれば飯を食うという感じで認めたかったが如何せん!ビジネスマナーを習った身であるので その上その先生を敬愛しているので 成長した風に装いました。
本当は昨日あなたに話したいことが沢山あったんですけれども、少し調子が良く、思いのほか社会人が楽しく…まァ研修される身の上なので…ダメな方にテンションが上がり勢いよく恥ずかしい自分が出てしまったのです。
それで、なぜわたくしが楽しかったかと言うと、若林です。若林の本に出逢いました。 前々から文章を書くということは知っていたんですが前作のものはとても手に取る気持ちにはならんかった。
けども! 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』は凄いですよ!文庫版ね!
なにがいいといいますと、紹介が苦手なわたくしですがお伝えさせていただこう!
ずばり! Creepy Nutsの DJ松永の解説です。これはもうわたくしTSUTAYAで読みながら泣きました(ガチ!)。
愛のある文章にはめっぽう弱いのです。あなたがもし眠れない夜を越えなければならない時、DJ松永のこのあとがきを読んでいただきたい。本文については今読んでいるのでそこまで偉そうには言えませんが、若林が自らの知識のなさを恥、40歳にして東大院生の家庭教師を雇ったという文でわたくし購入を決意!
あなたがたを守る味方になれば紹介した甲斐がありますがどうでしょう。水曜どうでしょう。火曜日ですね。
あとはなんでしょう、他人をみて我が振り直す?だっけか 若林の本を読んで世界史!英語!への欲がまた顔を出しました。 そのくらいかしら。
そういえばわたくし小さな嘘を積み重ねる性分なので土日を8000円で過ごすといいましたがあの日は気になっている舞台の映像をポチッとしてしまい結局プラス15700円になりまして大分と高くつきました。
あともうひとつ嘘をついた気がしますが思い出せません。恐らく化粧の前にうんこしたとかそんなところです。
これを打ったおかげでわたくしはいま化粧をしていなかったことに気付きました。ブログも捨てたものではありません。
急いで化けていよいよ出発進行です。出発進行には少し思い出があります。特に今伝えたいとも思わないので書くことに詰まった時にお話します。さて、外に出て道路を渡ろうとするとバイクが来て面倒だから先に行ってもらおうと私は渡るの急いでませんアピールをしていたのだが相手はなんだ道を譲ってくだすった。くだすったです。打ち間違えではございませんわたくしの脳内単語。このように優しさにも捉えられる(あまのじゃくですみません)ような出来事があると気持ちがupですね!
わたくしいまいくつか聞いていただきたいことがあるのですがとても通勤のすべての時間をそれらに割いてやろうという気にはなりません。とりあえずかきたいのはいつぞやに話題になったわたくしの受験について、とここまでいくのならこれまでの22年間を振り返るのもありかな、とも思うのですが興味がおありで?🐜いっときますけどわたくしこれは小説のつもりで、あなたへのお手紙のつもりで、贈り物のつもりで認めているのであなたがたが不要と仰るのなら書きません!
あとはそうですね、今年こそ恋愛したいと思っているので言霊の力を借りて恋愛の話題をいくつかするのもいいですね、例えば周りの男たちについて記すとなにか恋愛の手がかりが掴めるんじゃないのか作戦!あんただって自己分析は大事って知ってるでしょう!あんたというのはあまりいい気がしませんので使用するのはもうこれきりにします、ごめんね。別れの挨拶みたいでウケる。別れたことないけど。
それとあとやりたいのはSFですか…SFをなぜやりたいのかと言うと一番遠い位置にいる気がするので、しかしながら昨夜眠る時も一生懸命自分は宇宙にいる星空が広がっていると考えながら眠りにつこうとしていましたのよわたくし。だから好きなんです、星のこととか…Twitterで最近 しんどい惑星とかいうのが流れてきてふむなかなかどうでしょう想像力のある方は思想が湧き出るような事柄でした。
 なんだか自信のなさが現れている口調で終わりそうです。予防線を張るのも良いが、学生の間と、研修中と1年目はきみ、あれだぞ、失敗するほうがいいぞ!
それっぽくしてそれっぽく生きていくとそれっぽくにしかならないからな。
 最後にきみへの気持ちを代弁してくれたような歌をみつけたので捧げる!(ラジオかなこれ)

 返事を書くのも億劫だ。わがはいは気分屋なのだ。例の教師が感想文を送ってきた。おおよそ国語を担当していたとは思われない感想文である。〜だとであるは併用不可であったか。

人間誰しも牙を研ぎ澄ませておくべきなのだ。一度小説家を目指した人間がそんなものか。わたくしは気づいたのである。校閲再考が苦手であれ、わたくしはとめどなく考えが溢れ、そのものたちのためなら服従しよう。何も己の身勝手さが褒められたものではないことなど百も承知だがわたく氏は君たちよりもずっと前からこの身勝手な自分、気分屋な自分たちと一緒に過ごし飼い殺してきたのである!

 今朝、朝刊を読んでいると 大阪の飲食店にある蟹のモニュメントが壊され、犯人が弁償したという記事があった。店の社長は二人の犯人たちもクビになり、彼らもまたコロナの被害者である」と言っていた。そんな事があるものか。元々眠っていた元来の気色悪い性が目を出しただけであろう。われわれは覚えておかなくてはならない!いついかなる時でも様々な立場に陥るのである。

 このように出来事を引用して話すたびに思う。わたくしは出来事や物語、作品の説明というのが下手くそである。なぜならわたくし、自らの中で生まれた感情や思想には関心が深いのであるが、すでにある事象の説明は他の誰かの方が上手いと考えるからだこの時点でどちらかと言うと今の仕事には向いていないのかもしれない。仕事を向いている向いていないで帰るのは非常に!危険であると思う。こういうのは消去法だ。

 最近になって頭の中に思い浮かんでくる言葉がある。 天は人の上に人をつくらず云々・・・ である。きちんと原文を読んだ事がないので今週触れる機会があるなら是非とも読んでみたい。果たしてこの言葉通り生きるとどのような性格になるのであろう。しかしながらあながち間違っていないような気がする。わたくしは芸術家が羨ましくて仕方がなかったがおそらく構成力がないしそういうことを考えたくないのだと思う。というか考えられない・・・好みでしか配置できないのである。いや、こうしてできないことに言及するのは良くない。センスはあることもあると思ってはいるが・・・果たして奴らの脳内はどういうふうになっているのであろう。わたくしのこれみたくごちゃごちゃしているのであろうか。嗚呼、恥ずかしい!あっているかもわからないことを読ませる見苦しさ!しかしながらとめどなくあふれるこれらを書き留めなくては消えてしまうのです!いらない部分を削るのは未来でもできましょうが、いる分を残しておくのは過去の、今の自分にしかできないのです!

それでは、本日のうんこして化粧して準備してきます。ご機嫌よう!