隅でド派手

運命が許すあいだ、嬉々として進め。

さあ今からです、今から始まるのですわたしの物語が。わたしの物語といってもわたしの人生の話ではありません。そういうことを好む人もいますが、あくまで主人公は自分です。つまりあなた、君、あんた、からしたらYOUです。

そういうわけでこれからわたくしが綴ってゆきたいのはわたくしがこれまで生きてきて、あるいはこれから生きていく中でYOUに伝えたい事柄たちなのです。

さて、わたくしがなぜ一人称をわたくしにしているのかといいますと、まさに2021年4月、つまり今月、晴れて、晴れてという言葉はどういった時に使う表現であるのかきちんと把握していないままなのですが、社会人になりましたので、ビジネスマナー研修というものをわたくしもしてみんとするなり。冗談は置いておいて、そこで出会った元ジャルの先生が 社会人になったら わたくし というように 癖をつけなさいとおっしゃったからです。これみよがしの敬語!

 何はともあれ、わたしは書くことにしたのです。

もう何も格好をつけず、ただ自分の脳みその分身とはいかないまでも、この半分詰まらないような世界のために心が躍り、唯一のわたしの脳みそが感じたことをどうにか記していきたいなと思いまして。これを他の誰かが見る日が来るのかどうかは分かりませんがわたくしはあなたのために記すつもりです。

まずはじめに、格好をつけないということをここに誓います。格好をつけないというのは、格好をつけたくなるということを含めて、格好をつけないということです。あるがまま してしまいたくなることはもうどうしようもないのです。しっかり躾けることができなかった己の責任であります。(なので突然非公開にしても、許してね)

 わたくしは今までどうにかこうにか物書きになれないであろうかと画策してきました。ではどうして22年5ヶ月も掛かってしまったのか。それはですね、わたくしの考えていること、それを示すには、あなたがたに話し続けるということが一番手っ取り早かったからです。ですがその方法は今後使う機会が減ることでしょう。なぜなら、あなた方は、(わたくしも含めて)時々、臭うからです。

 臭うとは、どういう意味かわかりますか。よくない方向へ進もうとしているということです。ですがこの匂いは誰しも身に纏います。大事なのは身に纏わないようにすることではなく、離れるということです。最近あなた方は臭うので、ソーシャルディスタンスをとっているのです。

 2021年を生きるためには必要なことなのです、ごめんね。

ですが!わたくしが常日頃いっているように!わたくしは博愛主義のつもりでいるので、この距離感はつまり愛です!

 ついてこれていますか。あなたがたはそろそろ混乱に陥るでしょう。お前は何を描きたくてこんな文章を書いているのかと。先ほども申し上げました通り、わたくしは22年間話し言葉で己の思想をあなた方に伝えてきたわけです。それをそのまま記したいなと思っているのです。えええ、ええ、ええ、今までだってこんな話し方で話したことはありません。ですがわたしの頭の中はこのようになっているのです!

なのでお許しください。どうせ100年後にはニーチェみたいな文章と思われるでしょう!これは格好をつけただけなので忘れてどうぞ。

今日は、文章を書くということと、わたくしの関係について印そうかなと思います。

 あなたがたも知っての通り、私は限界を迎えるとすぐに!呟きます。大学生のときに知り合った同じ哲学科の男の子に文章を褒められたことがありまして、それはいつかと言いますと、敬愛する手越くんが事務所を退所したときの嘆きです。

わたくしは単純なのでそのようなことで舞い上がります。だからこそ数多の人間を舞い上がらせるため、また、自分がいつ死んでも悔いが残らないようにするため、人の良いと思ったところは褒めちぎります。

で、なんでしたか、そう、ですがいつの時代もオタクというものは言葉を綴ります。そして同族嫌悪します。なのでわたくしは自信がなかったのです。だって次の日に呟きを見たら発狂するもの。で、あなたとの電話や対話でならわたくしは忘れるけれども、もしかしたらあなたが覚えているかもしれないと期待を込め、伝えていたのです。

 そしてその上、お恥ずかしながらわたくしは、小説における背景描写や状況描写が苦手なので避けてきたのです。それらを読むことが苦痛なのです。

 ならばわたくしは物書きには向いていないのであろうと長年考え続けていました。

 しかしながらみなさん!春はなんの季節でしょうか、そう、出会いの季節!出会ったのです、入社した会社の研修場所にある図書館で!それは°マイナー(これはギャグ)なトルコの短編集でした。その作者は言うのです、自然でもっとも至高な文体は、話し言葉であると!

 また、土屋賢二という人物の本に出会ったこともきっかけの一つです。彼という人は、あろうことか本の内容について感激したことがなく、ただその語り口や文体に魅了されるという人物であったのです。

 このことはわたくしのコンプレックスを和らげ、ドストエフスキーへの興味を誘いました。いいですかみんな、わたしは思うのです、あなた方がいちばん己を発揮できるやり方で、輝かなければならないと!私の場合はあなた方に語りかけることなのです!

 毎度のことなのですでに了承済のことと存じますが、わたくし、時々嘘も言います!(この世で絶対的なことなどないのです!)

このような調子でまた明日からわたくしは、ソーシャルディスタンスを保ちつつ、あなた方に話しかけ続けたいと思います!それではまた明日、ごきげんよう