隅でド派手

運命が許すあいだ、嬉々として進め。

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いま一番、何がしたいと聞かれたらやはり会いたいし

いまのわたしをみてほしいようなみてほしくないような、気にしてほしいような、まあ気にしてほしいかそれは

いないと落ち着かないというのは

他のことで気を紛らわそうとするのは

結局お酒やタバコを嗜む人たちと大差ない訳で

誤魔化せないんですね、人生は

好きな人の好きな思想や憧れたものたちを摂取し生き続けてきたけれど

それはもう、誤魔化しなんですね

わたしは手放さなければいけない

好きだからかっこいいからという理由で真似して生きてきたけど

それはわたしの生き様ではないんですね

反面教師にしてしてこなかったこととか

それはそれでよかったけれど

抑えつけてもそれはそれで嘘なのかなと思ったり

でも見苦しくて消してしまったり

ただひとつ言えるのは、わたしの中には邪魔な声がたくさんあって

わたしが信じたいのは 愛で 一人の人間を愛し、それがたくさんの愛に繋がって 執着ではない 囚われない 方法がきっとあると思うんです。

自分の変化はなんとなく感じているし、 違う感情があるのもわかってきます。

一人の人を愛して、その人の幸せを望んで、そこから自分も本当の意味で幸せになるということがどういうことなのか示すのが使命なのかと思ったりもします。

だっていま、多くの人を好きでいられるという状態は、一人の人を愛したところから始まったのだもの。

だから許してください。何回も何回も何回も言われてきました。何回も何回もおかしいのは自分だと思って抑えつけていたけれど、

わたしの魂はわたしのものだし、かれの魂はかれのものだし、みんなの魂はみんなのものでしょう。

ややこしくなったけれど、

わたしはわたしの魂と話し合いながら解脱したい。

ここ数日で、好きなものを見て、やる気に溢れるのも、娯楽に溺れて現実逃避するのも、同じことだと思いました。

わたしは物事、人に善悪はなく、ただそれを自然の現象として受け止め、感情が乱されることなく生きていきたい。


愛に溢れながら、淡々と生きます。わたしのモチベーションは好きな人ではなく、好きなものではなく、わたしの魂のためだけに、自然に従って生きるという目標ただひとつです。

これ以上、なにかで気を紛らわすことはしません。必要なものを取り入れ、そのために挑戦と失敗を続けます。