隅でド派手

運命が許すあいだ、嬉々として進め。

就活で扱った妄想読書感想文、供養

モグラが神から食物を盗み、馬がそれを手助けし、人間は悪さを止めなかった。そのためモグラは地の中で暮らし、馬は人間に使われ、人間は苦労なしでは生きることができないという罰が与えられた、というのはなんの神話であったか。
主人公である小学生の僕は、父親の仕事の都合で京都から佐渡島に引っ越してきた。ある日、今まで見た事もない動物に遭遇する。それが50cmという規格外のモグラである。しかもどうやら一匹ではく、一家族らしい。
僕にはモグラ家族の声が聞こえるようになるが、それは現実ではなく、僕の妄想である。しかし僕が調査を進めれば進めるほど、僕の妄想の信憑性は強くなるのである。
僕が、モグラに対して執着することができたのは10日間だけである。それは10日目、僕がモグラと出会った山の麓が道路整備として埋め立て工事を開始したからである。
そして僕は 自分が見て、感じて、聞こえた物語を、記録し始めるのである。
読み進めて分かるのだが、これは作者土橋のほぼノンフィクションであろう。はて、自分にもこんなエピソードはあっただろうかと振り返った。動物というのは不思議なもので、普段あまり関わりのない私にとっては道端で遭遇すると縁のような、神からの忠告のようなものを感じる。じっとこちらを見つめて最低限の情報から瞬時に敵か味方か判断する様はいたたまれなくなる。こちらが味方であると示す手段がないからである。
この作品は、
見えていない部分をどう想像し、解釈するか、大切なことは何であるかを問いかけたものである。
僕 が 本で調べてはっきりと事実として分かることは、佐渡島には 京都から流罪された文人・政治家などが都の文化を伝えた影響からかさまざまな伝統芸能が受け継がれているという歴史的背景、おおよそ平均寿命を軽く超えるであろうモグラと対峙し、佐渡島の生態系が、思い描いていたものでは無いということだけである。
成長した土橋は何の因果か能楽にはまり、自ら動物や超自然的な存在を題材とした曲目も作っている。
見えていない部分を想像し、見ようとすることは、自分の可能性の拡張であり、知らないものを知ろうとしないことは、自分の可能性を狭めることであると私は思う。
果たして伝承された神話の通り、モグラは罪の為に地の中で暮らすことになったのか。私は地上と地下を行き来する、この動物に与えられたものは、罰ではなく、可能性のように思えてならない。