隅でド派手

運命が許すあいだ、嬉々として進め。

16 夢

夢をみていた。いつの夢かは分からない。ナチスドイツ時のような兵隊たち。周りにはたくさんの人がいて、デンマーク人の友達もいた。そこにお母さんとおばあちゃんがいたのかは分からない。わたしは死にたくなくて、どうにかして生き残りたくて周りの人を出し抜いてでも、たまたまでも、何でもいいから生き残りたくて、こちらを狙って飛んでくるレーザービームのような光線のような雷のような何かは近所の老人会の集会所にあたり、建物を切断していく。逃げなければ、と考えているところに兵隊たちがやってきた。抜刀!と声がかかり、周りの人たちがつられ、慌てて抜刀する。わたしは、もたつきながら震える手で、短剣を抜いた。

「ばっ、とhoぅ・・・」

うまく声が出ない。

軍隊が近づく。三人の隊員が私たちの目の前に来た。わたしはもう大混乱を起こしていた。逃げたい、逃げたい、早くやり過ごしたい。周りの人の中でわたしだけが後退りしてしまう。怒られる、だけどこわい怖いこわい。目の前に来た三人の男兵隊のうち、真ん中にいた一番背の低い一人が、わたしに焦点を定めた。

「オイ!何してる!じっとしろ!ナメているのか!」

ついにわたしは物理的にも逃げ場を失ってしまって、また同じ男が口を開いた。

「度胸試しだ!じっとしていろ!」

男の言葉を聞くや否や、私の周りにいた人々はすぐさま退き、それを確認してから真ん中の男は、男から見て左にいる無表情の男に朝布の袋を被せ、わたしに向かって刃を放つ。ヤイバはわたしの首元を掠り、朝布の袋を被せられた男の元へ。わたしの首元の傷以外は、全員無事であった。いよいよわたしは恐ろしくなり、同時にこれは夢であると気づいた。もう一度刃を向けられたが、私は、見届けることに耐えられなかった。

 起きると、汗をかいていた。思い出した、私は休職中で、休職になった原因は色々あるものの、ひとつに、自らが個人情報を流失させた時のことを想像して、それが一番の気がかりで、自らが取り返しのつかない過ちをしないかどうかということが気がかりで、しかしどれだけ失敗しても基本的には命まで脅かされることはなく、いつの時代かわからないが刃物をたくさん向けられ逃げ場所を失い、度胸試しを今の時代される可能性は低く、万が一夜中に眺める昭和時代や近年発生した猟奇事件に巻き込まれた時でさえ、死よりも恐ろしいのは、自らの魂が美しくなく、覚悟なしに、魂を見下されながら、死ぬこと。物理的な死は、重要ではない。魂が、美しくあれば、それだけで、いい。

 

いつも、魂が美しくあるために、いつも、しなければいけないことを考える。 万が一、刃を向けられた時、他人に非難された時、怯えずに、いられるように、そのための、訓練をする。

 

 

 

 

郵便屋さんが来た!わたしはいつも怖かった。もし、郵便屋さんが郵便屋を装った殺人犯で、外に出た瞬間襲われたらどうしよう、と。だけれども、もうわたしは怖くない。堂々としていよう。わたしの生きる目的は殺されないで生きることではなく、美しい魂のまま死ぬことだから、何が起きようとも、美しい魂のまま日々を過ごせるように生きよう。わたしは、覚悟を決めて扉を開ける。

14

いま一番、何がしたいと聞かれたらやはり会いたいし

いまのわたしをみてほしいようなみてほしくないような、気にしてほしいような、まあ気にしてほしいかそれは

いないと落ち着かないというのは

他のことで気を紛らわそうとするのは

結局お酒やタバコを嗜む人たちと大差ない訳で

誤魔化せないんですね、人生は

好きな人の好きな思想や憧れたものたちを摂取し生き続けてきたけれど

それはもう、誤魔化しなんですね

わたしは手放さなければいけない

好きだからかっこいいからという理由で真似して生きてきたけど

それはわたしの生き様ではないんですね

反面教師にしてしてこなかったこととか

それはそれでよかったけれど

抑えつけてもそれはそれで嘘なのかなと思ったり

でも見苦しくて消してしまったり

ただひとつ言えるのは、わたしの中には邪魔な声がたくさんあって

わたしが信じたいのは 愛で 一人の人間を愛し、それがたくさんの愛に繋がって 執着ではない 囚われない 方法がきっとあると思うんです。

自分の変化はなんとなく感じているし、 違う感情があるのもわかってきます。

一人の人を愛して、その人の幸せを望んで、そこから自分も本当の意味で幸せになるということがどういうことなのか示すのが使命なのかと思ったりもします。

だっていま、多くの人を好きでいられるという状態は、一人の人を愛したところから始まったのだもの。

だから許してください。何回も何回も何回も言われてきました。何回も何回もおかしいのは自分だと思って抑えつけていたけれど、

わたしの魂はわたしのものだし、かれの魂はかれのものだし、みんなの魂はみんなのものでしょう。

ややこしくなったけれど、

わたしはわたしの魂と話し合いながら解脱したい。

ここ数日で、好きなものを見て、やる気に溢れるのも、娯楽に溺れて現実逃避するのも、同じことだと思いました。

わたしは物事、人に善悪はなく、ただそれを自然の現象として受け止め、感情が乱されることなく生きていきたい。


愛に溢れながら、淡々と生きます。わたしのモチベーションは好きな人ではなく、好きなものではなく、わたしの魂のためだけに、自然に従って生きるという目標ただひとつです。

これ以上、なにかで気を紛らわすことはしません。必要なものを取り入れ、そのために挑戦と失敗を続けます。

13

やあ、君、久しぶりだね。最近は何かに追われる日々を送って、余裕がなくなっていました。何も考えられなくなったとき、人は本当に必要なことしかできなくなるような気がします。

頑張らないで生きるということが、すごく自分には難しいです。一度決めたことを貫けない、ひとの声を聞かないということ、生きるということが自分にはすごく難しいです。消えたくなります。でも今のわたしに世界はとても綺麗にみえています。本を読むのが好きです。畳の上に寝転ぶのがすきです。頑張ることが好きです。考えるのが好きです。挑戦するのが好きです。

何よりも、自分のペースで生きるのが好きです。

人を頼るということはどこまでなのか、わからなくなります。

今何がしたいか、

歌を歌いたいです。

自分の気持ちに素直になって、生きるのを自分で許してあげたいです。

他人からどう思われているかについて考えていることをやめたいです。

普通に近づきたいです。

人の声が、怖いです。

後悔はしていません。けれど、人生2週目であれば、このまま生き続けないと思います。

 

 

12 不安

嗚呼不安もう不安どこまでいっても不安。結局今のわたしには他人のことを考えずに生きるなんて無理なのである。覚悟を決めるしかない。沸々としたもの・・・隠しておくべきなのかもしれない・・・わからないのであなたに委ねます。

 ビジネスが苦手だ。ハッシュタグが苦手だ。でもこういう苦手って苦手にしておいてもなんの得にもならないものだ。だから乗り越えたい。みんな・・・周りの人間は必ず自分にないものを持っている。逆も然りなんだろうけど、大事なのは持っている要素をプラスに使うことである。活かせるやつが生き残る。好きなものとかやりたいこととかたくさんあるけれどその中でわたしができること。考えること。言葉にすること。あなたに話してみること、このくらい。それを少しずつ、ひろげていけたらなあと思う。

あとは・・・最近太った。なんでやねん。歩いているし前よりも運動には近づいているんだけれどな。お母さんには3食きちんと食べるようになったからでしょって言われた。

筆のノリが良くないな。見られるかもしれないという自意識。嫌われる子もしれないという傲慢。でも昔よりは自信がついたと思う。余裕ではないけれど、闇からの距離の置き方を学べた気がする。違うそんなことを言いたいんじゃなくて・・・・うまく言えないけどさ、ライバルだと思ってるよ。みんな。わたしが一番好きなのは結局わたしで、時々とんでもなく残虐になったりして、そこが人間の怖いところなんだけれど、、、わたしの生き方として、どんなわたしがあっても最後にはよし、生き切ったと思って死にたい、ダメな人間でもそういう感じで一生を終えることができると、証明したい。勇気を与えられたらな、でもそんなにいい子じゃないから迷惑かけるかも、でも遠慮しないって決めたんだ。自分都合で帰ってきていいのが実家って、読んでた本に書いてたんだ。わたしあなたたちがいなければとっくに死んでた。

 決めた!わたしはビジネスを利用する!ハッシュタグを利用する!利用して、ただわたしが本当に示したいことを示せるように頑張る。むちゃくちゃでごめんね。筆乗らないなと思いながら書いててもふつふつしてきて、泣いちゃった。

もう一回だけ言い聞かせたいから書くね。わたしは今まで知り合ってきた人たちに生かされてきました。嫌いだと思ってた人たちにも本当は生かされてきたことを知りました。これらのことに気づけたのは世にある本や音楽やアニメや漫画やゲームのおかげで、でもそれらがなくなったって世界が綺麗に見えることを自然によって知りました。全部味方につけたら最強なんだな。敵って一人だよ。自分だけ。絶対的な親友って一人だよ、自分だけ。家族って、自分以外全員家族だよ。

そんな感じ。

COSMOSって合唱曲が心地よい。ごきげんよう

9 大学受験の話

 東京の大学に行くことが全てだったのかと言われるとそうだと思う。前日のあれがだめだったのかと言われるとそうだと思う。でも結局全て自分自分の弱さとか落ち着きのなさとか運とか、わたし自身があの時点でそういう器ではなかったということだと思う。
何も後悔していないけれど受験生の時はそれしか見ていなかったから、全てだった。実家から、地元から距離を置かないとどうにかなると思っていた。何もかも気持ち悪くてこんなにわたしは気持ち悪いと思っているのに平気で私の周りに集まる人たちのことが怖かった。遊んでいても私は何も楽しくないのに楽しそうにする人たちの意味がわからなかった。
あまりの執着だったので、担任に、怒られて渋々家を出たかったことを伝えると何故もっと早く言わなかったのかと言われた。貴方が考えている以上に私は考えていたんですよと思った。私は誰よりもクラスのことを考えてきたんですよと思った。どれだけ自分がどうしようもなくてもどうしようもないからって何もしなければ何も変わらないから、できること全部やって、自分さえ良ければなんて人間になんて死んでもなりたくなかったから拾える人全部拾って、そうしたら自分も行きたい場所に行けると思っていた。でも全然違った。人間ってなりたい人間にはきっとなれない。
自分のやってきたことが全てで、それらを積み重ねた結果、人間が決まるんだと思う。
ゴールは死だ。死んだ時にやり切ったかどうかだ。
就活していて、出版に落ちて落ちて落ちまくってモチベもなくなって、そうしたら母親は私のことを「夢敗れたんです」と他人に紹介するようになった。
何も分かってないんだなあこの人は、と思った。私は何も夢敗れていないしそんなことにいちいち固執するなら浪人していたし国公立を目指していたと思うし海外だって行っていた。でもそんなのくだらなかった。私が大学に行きたかった理由分かりますか?実家を出たかったからだよ。地元からできるだけ遠くに行きたかったんだよ。努力したら全部捨てれると思ってた。そうしたら、自分は幸せになれるんだと思っていた。
でも、京都に行って、ドイツに行って、帰ってきて、気付いた。周りに誰がいようと相手にしなければいい。そんなものに構っている暇なんてないのである。私の味方は初めっから本と自然と音楽だけだった。文化だけだった。そしてそれらに救われてきたほかの人たちと繋がっているだけだった。それらがなかったら私は人間と関わっていても楽しくもなければ時間の無駄だと思う。そのくらい見ている世界が違った。
人間誰しも長所はある、あるにはあるがそれに気付かず気付いていても向上心がない。だけれど向上心というものは、人より上に立つものでは無い。自分が落ちないようにしなければならない。上にいくことばかり考えていたらいつの間にか落ちている。
わたし思うの、どんなに身なりを綺麗にしていても、目の前の困っている人に気付かないで、自分と自分の周りしか見ていない人って美しい?
どんな景色なんだろうと思う。私も同じ立場に立ったら変わってしまうのかなと思う。高学歴で、誰しも知っている大手企業に入って、役職について、どんな景色なんだろう。わたしは上に立つ人の上に立つまでの生き方を調べるのが大好きだ。そういった人たちの中で生きていきたい。それは今の場所だってできる。だって大企業だって初めはゼロスタートなんだよ。だったら私は自分を拾ってくれた場所に全力で恩返しする。できることはぜんぶやる。何年かかっても、やりきったって思うまでは転職しないし、逆にもう出来ることないって思ったら離れるだろう。
これゴールじゃないんだよ、スタートなんだよ。
おかあさん、わたしの夢は自分が幸せになることだよ。そのために、心の平静が必要なんだよ。
積み重ねだね。きっとずっと。頑張ってくるわ、ありがとう。

8 自分にとって必要なものは少ないほうがいいけど味方はいっぱいいたほうがいい

 表題、以上!解散。

 昨日は早退した。今日は元気だ。狭いところにいたので息苦しかったんだと思う。自分は大抵の場合どこででも生きていけると思っているけれど、あまりにも無秩序過ぎるとどうだろう。振り返ってみるとなんだかんだで筋の通った居場所でやってきた気がする。わたしにとって必要なもの、それは組織が人を人としてみて、人として扱うことだと思う。

 自分に先見の明があるんじゃないかと思うときがある。でもそれは既に見出した人物から離れた時だ。それではもう無関係になっているのかもしれない。でも、凄い人が凄い時に必要とされることってそんなに多いのかな。わたしにとってLiSAが必要だったのは小学生で中学生で、Free!が必要だったのも中学生のときだけで、アニメや漫画やゲームには大学生が終わる1ヶ月前までお世話になっていた。

 けどもうわたしにとって絶対不可欠ではないんだろうなと思う。残すは恐らくギルバートだけだけど、いまは毎日考えてしまうけれど、これもいつかあの人が凄い人(今でも十分凄いが)になった時に薄くなるのかもしれない。

なくなりはしない。今でも思い出す、好きな漫画の好きなセリフ好きなシーン。

 今のわたしに必要なのは自然と、運動と、読書と、音楽と、わたしの話を聞いてくれる人。あとは広い空間。このことに気づいたのももう無理だって鴨川のベンチで寝転んだ時にあまりにも気持ちよくて、なんだここでいいんだってなったから。そのまま死んでたってたぶん誰よりも幸せに近付いていたと思う。舞台を観た時の喜びとか、ライブの高揚感とか、ぜんぶぜんぶ麻薬で幻想だった。やっていることはわたしの好きじゃない人たちと同じだった。でもその中で素敵な人も沢山いた。で、だけどそれだってわたしの心は平静ではいられないんだろうなって思った。離れたほうが楽だった。なくて生きていけるならわたしは必要なものなんて少なくていい、でももしかしたらふとした瞬間思い出して頼らせてしまうかもしれない、その時はよろしくねって感じ。

受け入れてくれるかはわからないけれども、少なくともわたしの好きな俳優やアイドルやキャラクターたちは自分のために時間を使う人で、その上で周りをみている人だと思うから、いよいよわたしも同じ土俵になれたらなって思う。

 今のわたしにあるもの、思ったより沢山あるんだ!しいたけ占いがいってた 思ってるより凄いことしてきてるよーっって。わたしって頑張ってたんだね、ちゃんと目に見えることもあるんだね、一生駄目って言われ続けながら1人で頑張るんだと思っていた。見てくれる人は本当に見てくれているんだ、そうなんだ、で、どうするかって、今まで通り、違和感ないなら正しいって思うこと貫いて、普段は間違った時に違和感持てるように情報とか思考とか研ぎ澄ませておいて、おかしいなって思ったら立ち止まるだけ。義務じゃないけど未来のわたしが不幸にならないために必要なこと。

 さあ今日も生きるぞ!